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何というかな、みんなと同じ。あんまり上下っていう感覚は自分の中にはない。みんな同じで、だから、誰かがでけへんかったら自分がやる。
 
(株)奈良ナニワ 代表取締役 須田勝彦
 

入社されたきっかけなど
何年やろ?入ったのは、26、27くらいかな、もうかれこれ、20何年、いま51やから。その前に中学くらいから、朝の荷物の積み込みとかをさせてもらってたからね。奈良に来たのが小学校2年生くらいで、ここの市場で遊んでたみたいな。夏休み、冬休みとかは手伝わされてたから、小学校の時は休みの日に、ちょこちょこ市場には来てました。もともとは父親が東部にいて、奈良の市場が出来て、立ち上げの時に来たから。もう市場にどっぷりです。
ここで仕事をする前は、全く違う仕事をやってました。伊丹空港で飛行機の清掃や整備士のお手伝いみたいなんとか。でもバブルがはじけてしまって、あと父親の無言の圧力もあって、ここに来たみたいで。最初はもう丁稚から、荷物を運んで、日々配達、加工も。昔はこの事務所の前にも加工の現場があって、加工をやってました。だんだん加工が大きくなって、今の加工場を別に持つようになったんかな。昔は忙しくて、晩ご飯もここで食べてた。人生の中で、ここの市場で過ごしてるのが一番長いんとちがうかな。

 
奈良ナニワの代表ですが、現場で働いている時間も多いようですが
代表としてというのはあんまりもってないかな、何というかな、みんなと同じ。あんまり上下ていう感覚は自分の中にはない。みんな同じで、だから、誰かが出来なかったら自分がやる。自分が出来ないときはやってもらう。そういう感じかな。逆にあの、「社長」て言われるとムズムズとする。気持ち悪い、別にそんなんじゃないしみたいな、感覚やね(笑)
社長としてという、そういう部分では、まず基本は、聞くというのを基本にはしてる、押しつけないというのは心がけるようにはしてます。一時ちょっと、バブルが弾けて、会社が大変だった時に4人か5人か辞めていった時があって、あれはちょっとキツかったかな。自分に中でもやってほしい子とか、この子やったらいけるやろなという子がおらんようになったとか。人との付き合い方というか、気持ちのズレなんかで、社員があのとき辞めていったことはつらかった。だからコミュニケーションというか、そういうのは大切にするようにしてます。
 
奈良の市場についての考えをお聞かせください
まずは奈良の市場が生き残ってく方法ということを、やっぱり考えないといけない。だから奈良の市場を盛り上げるためには、タッグを組むというたらおかしいけど、生産者もそうやし、荷受けもそうやし、うちらもそうやし、皆が協力しあって自分らのメリットをお互い延ばしていけるような形で取り組めるようにやっていきたいという思いはある。

奈良としては対大阪なんですよ。大阪は大都市であり、消費地であり、大きい受け皿があるなかでの、横の地方市場が奈良。奈良は消費地であり生産地になるから、その奈良県産の野菜や果物をどうやって販売していけるのかという部分を考えていかないと。

 
例えば、ほうれん草とかやったら、生産者をかためればやっぱりそれなりに、集まってくる。ほうれん草やったらほうれん草ばっかり作らすような、そうすれば奈良をほうれん草の一大生産地として全国に広めることができる。柿やスイカや苺や無花果やとか、果物なんかも多いし。せっかくね、消費地が真横にあって、生産地はたくさんあるのに、それをよう使い切れていない部分では、奈良の市場はまだまだ。荒れ地もあれば、全然作っていない畑も一杯あるから、そういうところをもっと有効活用できればね。
やっぱり奈良の商品が売れたら嬉しい、だからなんとかしたいという思いはあります。そういうふうに思ってる熱い人は他にもいてるしね。
もしナニワのブランドのようなものができたら、ナニワブランドの商品作りというのも面白いかも。そういうのがあれば、自分らも奈良の生産者を回れるしね。

 
休日の過ごし方、将来の夢など
休日は子供と遊んでるかな。中三、中一、小六の子供が小学校の時から地方のクラブチームに入ってるから毎週日曜日はそれのお手伝い。自分もサッカーやってたから。
 
将来の夢は?
歳いったら、石垣島に住みたい!